こんにちは、Dr.紅です。
みなさんは「自分の存在する意味」に悩むことはありますか?
私も20代はすごく悩んみました。この悩みが消えないと、「 自分はこの世に存在しなくても良いのかも?」と不安になってしまいますよね。
今日はなぜ、私は「自分の存在価値」を追求し始めたのか?のお話です。
目次:
- 人の「見えるもの」に興味がない私
- 衣食住に困らないのに「生きている意味がわからない」過去
- どんな状況でも「自分が自分の価値」がわかっていれば怖くない
人の「見えるもの」に興味がない私
私は人の資格とか役職に全く興味がないです。いつからそうなったのかな?と考えてみました。
1つは自分の経験です。私は医師になりたての時、病院の中で医師として存在している自分と病院の外にいる自分の環境が全く違ったからです。外にいると、話す人がほとんど居なかったので、医師としての役割を求められていても、自分自身は求められていないんだと認識することがありました。
2つ目は、医師法で定められている医師の相対的欠格事由には「心身の障害により医師の業務を適正に行えない場合」とあり、心身の障害とは主に、視覚、聴覚、音声機能若しくは言語機能又は精神の機能の障害により意思疎通ができない、や診断に必要な認知ができない場合となっています。
簡単にいうと、心身の障害を患うことがあると、医師の資格を失うことも考えなければならないのです。
衣食住に困らないのに「生きている意味がわからない」過去
この2つのことから、私が医師なりたてで遅れたのは、医師としてしか価値がない存在の自分のままだと、医師の相対的欠格事由が適応されてしまった時、
私は存在価値がなくなる!?
ということを真剣に悩んだんです。衣食住が困っていない状況下で、重度のうつになりました。
「このうつ状態から解放される方法は何かないか?」
そう思った時から誓ったことがあります。それは「私自身が誰に何の価値を提供できるのか?」を追求することです。この8年後、私は経営学に出会いますが、この考え方はビジネスを行う上で基本であることがわかり、「うつの時からの問いかけは正しかった」ことが学問的にも裏付けられ勇気をもらいました。
どんな状況でも「自分が自分の価値」がわかっていれば怖くない
今の私の揺るぎない理念は「私の近くにいてくださる方々が、生きててよかった!と1回でも多く思えるサービスを提供すること」です。 そのためにはまず自分の人生を肯定するコンテンツを作って、そのコンテンツに触れる人に笑顔になってもらったり、生きる勇気を持ってもらいたい、そんな理想が出来上がりました。
まだ明確に「自分の存在価値」が自分でわかりませんが、問いが正しい以上、あとは日々精進して答えを見つけていく人生を歩むのみです。迷いはありません。
そのことに気づいた今、私は幸せです。
「自分はなんで生きているんだ?」
という恐怖に日々悩むあなたにこのブログが届きますように。